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フィリピンは、東南アジア、フィリピン諸島からなる島嶼国。ルソン島やミンダナオ島など北から南へ約7,107の島々がひろがっています。正式国名はフィリピン共和国で、面積は、日本の国土の約8割に相当する299,404km2、首都はメトロ・マニラ(マニラ首都圏)です。
フィリピンにヨーロッパ人が初めて来航したのは1521年3月16日。ポルトガル人、フェルディナンド・マゼランがサマール島にたどり着き、4月にはセブ島に上陸し、首長フマボンと友好条約を結び、スペインの支配権を認めさせ、イスラム教徒だった島民全員をカソリック教徒に改宗させました。マゼランはさらにマクタン島に手を伸ばしましたが、首長ラプラプとの戦闘で殺害されました。首長ラプラプは、この事件で名声が上がり、フィリピン最初の民族的英雄となりました。
事件を知ったスペイン政府は艦隊を派遣。セブ島、ルソン島、ビサヤ諸島を平定し、スペインの支配下に置きました。以後380年に渡りフィリピンはスペインに支配されましたが、1840年ごろからスペインの植民地支配に批判的な人々が増え、やがてフィリピン革命へと発展。エミリオ・アギナルドが、アメリカの支援の下に1898年6月12日フィリピン独立宣言を行い、自ら初代大統領となりましたが、パリで開かれた米西講和会議でアメリカがフィリピンの植民地権を譲り受け、スペインに代わってフィリピンの植民地支配を続けました。
1941年12月8日、太平洋戦争が勃発すると、日本軍がコレヒドール島を占領し、フィリピン全土を手中に収め、過酷な軍政を実施しましたが、1945年にアメリカ軍がマニラを奪回。1945年9月3日、日本軍は降伏して軍政は終焉しました。翌年の1946年7月4日、待望の独立を果たし、フィリピン共和国が誕生しました。しかし、アメリカ主導下の政治が行われ、1965年にフェルナンド・マルコスが大統領になると、マルコスの独裁政治に矛盾が深まり、テロやゲリラが日常化し、マルコスの失政を糾弾する声が高まりました。1972年にはマルコスは戒厳令を施行して、反体制運動を鎮圧しようとしましたが、1986年2月に2月革命が起こり、マルコスは国外に脱出。その後、アキノ、ラモス、エストラダと大統領が代わり、現在はアロヨ大統領が貧困の撲滅、政治倫理の確立、治安の改善、反政府勢力との和平交渉などの課題を抱えながら、繁栄への道を模索しています。
フィリピンには、エルニド、パマリカン島、ボラカイ島、セブ島など世界的に有名なリゾートやダイビングスポットが数多くあり、マニラではスペイン時代の情緒あふれる街並みと近代都市の双方を楽しむことができます。フィリピンへの旅を楽しむ旅行者は年間700万人を超えています。
言語:フィリピン語(タガログ語)、英語
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