マイルで東北にエールを送ろうプロジェクト「旅のたより」バックナンバーのご紹介

思い出の場所へ

この度は多くの方からマイルをいただき、感謝しております。
私は東日本大震災で主人を亡くしました。今は子供2人と3人で暮らしています。

マイルが当選し、仙台から福岡を経由し、沖縄へ、私たち家族、私の実母、妹と5人で行ってきました。沖縄は主人が生前から「私たちの結婚式をした沖縄を子供たちに見せてあげたい。」と言っていたこともあり、この度で願いが叶いました。

カヌチャベイホテルで1日目を過ごし、豪華なリゾートホテルに子供たちも大満足のようでした。私たちが結婚式をしたチャペルも見学させていただき、その当時を思い出し、とても感動しました。
2日目はちゅら海水族館や古宇利大橋など、主人と一緒に旅したルートを巡り、懐かし気持ちと共に、主人も一緒に来れれば良かったなぁと切なくなることもありました。

しかし、美しい海を見て、おいしい沖縄料理を食べて、楽しい時を過ごせたことで、これからは3人家族でがんばっていこうという決意も新たにできました。亡くなった主人も悲しんでいる私たちを天国から見るのはつらいと思います。少しずつ、1歩ずつ前へ進んでいこうと思います。

チャリティマイルのご協力、本当にありがとうございました。

ジェネロ様 宮城県仙台市 30代女性

家族での初めての沖縄旅行

今回、この「マイルで東北にエールを送ろうプロジェクト」の当選の通知が来た時は本当に嬉しかったです。私達家族は震災以降、本当に激動の日々で、こうして命があっただけでも感謝と思い、過ごしてきました。そんな中、このようなプレゼント。神様はちゃんと見ていてくれてるんだ・・・とこみ上げる気持ちでいっぱいでした。

せっかくいただいたこのチャンス。寒い東北に住んでいる(当時は石巻)私達は家族と話し合い、是非とも暖かい地、沖縄に行ってみたいと計画。12月28日から1月3日までの一週間、家族3人で、フリースタイルの旅を楽しみました。
宿泊はリッチなホテルとかではなく、民宿やゲストハウス。他の宿泊の方とも交流をしつつだったり、レンタカーを借りて自由で気ままな旅でした。 ひめゆりの塔や平和の塔へ訪れたり、昔の日本の歴史を子供達と振り返ることもでき、本当に良かったです。

フェリーで久米島にも訪れ、海の美しさに感動したり、「一週間でも全然足りなかったね」と話し合いながら、旅の間、子供達も心の本音を話し合える時間を持てた事もとても良かったです。

こんな機会がないと沖縄まで行けなかったので、この様な機会を作ってくれたJALさん、そしてマイルをプレゼントしてくれた皆様に本当に心より感謝しております。ありがとうございました。

ももんが様 栃木県大田原市 40代女性

皆さまのおかげでNYへ

この度はJALマイレージバンク事務局の皆様と、会員の皆様からのご厚意から貴重な体験をすることが出来ました。本当にありがとうございました。私たち家族は頂いたマイルを使って、年末年始にニューヨークを訪れることにしました。

私の自宅は震災で被害を受け、引っ越しを余儀なくされました。さらに、私は仕事の都合から、震災直後はほとんど家に戻ることも出来ず、ライフライン復旧までの間に家族には大変な苦労をかけたと感じています。そのため、今更ですが家族が喜ぶことをしたい、と今回の旅行を計画しました。

ニューヨークは非常に寒かったです。しかし、それに勝る楽しみがありました。カウントダウン、買い物、名所巡り・・・。世界からたくさんの人種・民族が集まり、共存している姿を見て、私ももっと視野を広げたい、とも感じました。そして何より、嬉々として買い物をしている家族を見て、もっと大切にしなければいけないとも思うことができました。個人的には、本場のステーキがとても美味しかったです。かなりボリュームはありましたが。

旅行は5日では全く足りなく、帰りの飛行機の中で、今度は自分たちの力でこの地を訪れたいと誓いました。

みなさま、本当に、本当にありがとうございました。

NY様 東京都中央区(震災当時:宮城県仙台市青葉区) 30代男性

東北へようこそ

津波に自宅も職場も流されて、家族で一間のアパートに暮らし始めたころ、新聞で今回のプロジェクトのことを知りました。生きてゆくだけで精一杯の日々、被災地を離れ、どこか遠くの暖かな土地に旅行してみたくて応募したところ、幸運にも当選の連絡が届いたのです。家族で喜び合いながら、さてどこに出かけようかと考えてはみたものの、この幸運に私達だけが乗ってしまっていいものかと、頭の隅に引っかかるものがありました。

この困難は家族だけでは乗り越えられないものでした。震災直後に大きなリュックを背負い、東京から遠距離バスを乗り継いで様子を見に来てくれた友人がいました。その後も毎週のように避難先に、手紙と一緒に衣類や食料や日用品を詰めた宅配便が届きました。今まで私はこんなにも人のために尽くしたことはない。申し訳なくて、この先お返しなんかできないよと言ってはいたものの、いつか何かの形にできたらと思ってはいたのです。

そうだ、私が出かけるんじゃなく、みんなに東北に来てもらおう。

思い付きを家族に相談すると快諾してくれたので、JALのホームページを見て松島に温泉宿を取り、友達を招いて一緒に泊まってもらうことになりました。被災地を車で廻り、宿で地元の魚介を食べ温泉に入り、寝る間も惜しんで語り合いました。震災後一週間ほど連絡が取れなかったとき、みんな泣きながら新聞の死亡欄で私の名前を探していたと、そのとき初めて聞かされました。陸に上がった大型船や、黒焦げの骨組みだけになったビル、窓ガラスが割れたまま取り残されている校舎、水が引かず海に戻りつつある埋立地・・みんなに見てもらえて本当によかった。人一倍旅行好きだった私ですが、震災後は東北から一歩も外に出ていません。それでも見て感じてきた多くのことを、誰かに伝えていければと願っています。

機会を与えて下さった皆様、本当にありがとうございました。

ふかひれ様 宮城県 50代女性

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